鈴木敏夫とジブリ展

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鈴木敏夫とは何者なのか?

特別取材(3):
鈴木さんは「一発逆転の再生工場」?

株式会社クラフター/取締役プロデューサー
石井朋彦さん

第3弾ポスター ©2001 Studio Ghibli・NDDTM

第3弾ポスター
©2001 Studio Ghibli・NDDTM

 僕は、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』と『ハウルの動く城』で鈴木さんの下について、プロデューサー補として働きました。ジブリを退職してから今に至るまでは、アニメーション映画のプロデューサーを生業としています。

 鈴木さんに対して「すごいなぁ」と思うのは、常人では解決不能な状況を一発逆転し、歴史を革新し続けてきたところです。

『もののけ姫』の公開前、ほとんどの関係者は、興行的にうまくいかないと考えていたそうです。僕が関わった『千と千尋』でも、「超大作ではない本作は、『もののけ姫』の興行に遥かに及ばないだろう」という下馬評が大半でした。しかし、鈴木さんはそれらを、ことごとく覆してきました。

 なぜ、それができたのか? ……それは、鈴木さんがつねに「一発逆転」を狙い、虎視眈々とその機会をうかがい続けているからだと思います。

 鈴木さんは、みんなが「当たり前」として前提においていることに対し、「本当にそうなのか?」と、疑問を呈します。時に慎重に、時に激しく。

 あらゆる常識や流れに対して、疑問符を投げかけ、そこから生まれてくる新たな機会や、時代の潮流をつかみとるのです。 『千と千尋』はもともと「煙突描きのリン」という企画でした。鈴木さんはまず、そこからひっくり返します。

 その後も、千尋とハクが湯婆婆とその姉妹と戦うという勧善懲悪ものになろうとしてゆくのを、「それは、本当に面白いのか?」と疑問を呈し、その結果、カオナシというキャラクターが生まれるんです。

 普通は、「こうしたらもっと面白くなる」とか、「こういうアイデアはどうか」とかいうように、プロデューサーが作品に介入しますよね。鈴木さんは、そういうことは絶対にしません。あくまでも作家中心主義でありながら、ここぞというところでひっくり返すわけです。

 そして、鈴木さんの一発逆転の提案に対して、それまでつくり続けてきた物語をすべて捨てて向き合う宮崎駿監督も、やっぱりすごい。

 そんな宮崎さんの新しいアイデアを受けて、鈴木さんは、この映画は千尋とカオナシの話だと見抜き、宣伝でも、「みんなの中にカオナシはいます」と言語化しました。

 そうしたプロセスがあったからこそ、『千と千尋』は、現代人の孤独にも響く映画として、国民的な作品となったのだと思います。

 鈴木さんは、映画だけでなく、多くの関係者の人生をも、「一発逆転」させてきました。そのありようは、まるで「再生工場」のようです。

 鈴木さんの周りにいるのは、良くも悪くも、偏った人ばかりです。平均的な優秀さは、要らない。偏った人には、どこかいいところがあるはずだ。そんなスタンスで、それぞれが、自分でも気づいていなかった得意技を見つけて、開花させてくれるんですね。

 鈴木さんの教えによって、僕も人生を、一発逆転・再生していただきました。

─ 鈴木さんに言われたのは、「俺は、再生工場なんだ」

当時のタイトル会議

当時のタイトル会議

 さきほど、鈴木さんは「再生工場」だ、と言いました。

 21歳でスタジオジブリに入った僕は、はじめは制作部に所属し、高畑勲監督の『ホーホケキョ となりの山田くん』の進行管理をする業務に就いていたんです。落ちつきがなく、言葉ばかりだった僕は、周囲から「この仕事に向いていない」と言われ、クビ寸前にまで追い込まれてしまった(笑)。

 そんな時に、「俺は、再生工場だからな」と言って、僕を直属の部下にしてくれたのが鈴木さんでした。

 鈴木さんが、僕をどう「再生」したかと言えば、適性の見きわめによってです。当時、一つのところに留まっていられず、本屋で本を立ち読みしたまま遅刻したりして、「制作失格」の烙印を押された僕に、鈴木さんは、宮崎さんや高畑さんの言葉をまとめたり、整理したりする仕事を、次から次へとまかせてくれました。

「それが、石井の得意技だ」と言ってくれた時に、心から救われたんです。子どもの頃から本ばかり読んでいて、文章を書くのが好きだった僕の、言葉という「得意技」を引き出してくださった。

 鈴木さんは、いわゆる「優秀な人材」ばかりの組織を良しとはしません。よく、「新選組をつくろうとしたらダメだぞ」と言っていました。エリート主義で組織をつくると、最後はおたがいを殺し合いかねない、というのが、鈴木さんの考え方なのです。

 ひとりの落ちこぼれを排除しても、残った中でかならず別の落ちこぼれをつくりだすのが、人間の集団というものである。だから、ダメそうに見える人のいいところを見つけなきゃ。誰だって、一つぐらいはいいものを持っているんだから、そこで貢献してもらえばいい。

 よそで「ダメだ」とされた人の持ち味を、「その人に合う仕事をどんどん与えること」によって、引き出す。拾われた人たちは嬉しくて、鈴木さんのために頑張りますよね。

 よく、ジブリ外部の方たちが「ジブリさんと組む仕事は、ジブリ作品のように温かくて楽しい」とおっしゃるのを耳にします。それは、ジブリの基本的なあり方を今言ったように捉えている、鈴木さんの「場づくり」が、作品外にも満ちているからでしょう。

「成果主義」とか、「人を蹴落としてでも成功しよう」とかいう考え方は、ジブリでは、通用しません。

 現代には存在しえなく見える、ユートピア的な組織なんだけれど、それでも大きな成功を遂げている……。そんな現実に、みなさん、ホッとするのかもしれませんね。

─ 鈴木さんをジブリ作品の登場人物にたとえると……「ユパ」

©1984 Studio Ghibli・H

©1984 Studio Ghibli・H

 風の谷のナウシカ』に出てくる、ナウシカの師匠・ユパさまの人との関わり方は、鈴木さんによく似ているな、と思います。

 周囲に、あまり「ああしろ、こうしろ」とは言わず、じっと見守っている。現実を観察して、いろんなことをよく知っている。

 自分のほうから戦いを仕掛けて人を支配しようとはしないけれど、ここぞというタイミングであらわれ、一気に形勢を逆転してしまう。そういう、ユパさまのような鈴木さんの戦い方は、『千と千尋』の現場をはじめ、いろんなところで見てきました。

 鈴木さんの、ここぞという場面での動き方って、状況に迫られて居合いのように斬るという、受け身型です。

 自分から目標を設定して、そこへ近づくのではない。「今」「ここ」という現在地にだけ集中して、目の前のことを一つずつ片づけていく。

 そういった毎日を重ねる中で、むしろ、事前の長期計画なんかでは想像もできなかった、理想的なすごいところにまでたどり着く。そんなことを実現してきたのが、鈴木さんなんです。

©1984 Studio Ghibli・H

 僕は、「自分探し」なんて言葉がもてはやされた頃に、青春時代を過ごしました。今の若い人もそうなのかもしれませんが、「自己表現」や「自己実現」ができなければ幸せにはなれない、と思い込んでいた。

 そういう時期に出会ったのが、「今、ここのこと」や「他人のこと」ばかりを考え続けている鈴木さんだったんです。

 そこで、僕も、「自己表現」や「将来の夢」なんかを手放して、目の前のことに集中してみたら……。

 他人や世の中のことがはっきり見えてきて、仕事が楽しくなっていった。将来なんて意識しなくなったがゆえに、逆説的だけど、かつては「夢」のように思っていた映画づくりの渦中に、気負わずに入り込めていた。

 ユパさまや鈴木さんのような「受け身的な態度」こそが、何かしらの目標とするようなところまで近づく、いちばんの方法なのかもしれない。そうして、一般的に言われているのとは逆のやり方に答えがあるようだと思うようになりました。

 スタジオジブリが、世界に誇るアニメーションスタジオであるということは、今では世の中の「常識」になっていますよね。ただ、そのジブリそのものも、そもそも、「鈴木さんが、形勢を逆転させることに大きく関与してできていった組織」なんです。

 宮崎さんと高畑さんに、雑誌編集者としての鈴木さんが出会った40数年前には、両監督は、この業界の「王道」を歩んでいる人たちでは決してなかった。むしろ、もう、映画はつくらせてもらえないかもしれない、というところにまで追い詰められていた。

 プロデューサーになる鈴木さんにしても、映画畑の人間ではなく、異業種からの参入でした。鈴木さんによる「逆転」の仕事は、そんな時代からはじまっていたわけです。

 映画も、人の人生も、「一発逆転」「再生」してしまう鈴木さんのすごさは、今も昔も変わりません。