鈴木敏夫とジブリ展

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鈴木敏夫とは何者なのか?

特別取材(2):
鈴木さんは「人の長所を引き出す達人」?

日本テレビ/事業局映画事業部
高橋 望さん

画像 第2弾ポスター
第2弾ポスター
©2001 Studio Ghibli・NDDTM

 僕が鈴木さんに出会ったのは、鈴木さんが編集者(当初副編集長、後に編集長)としてアニメーション雑誌「アニメージュ」をつくっていた頃です。1983年の秋からの約4年間は、鈴木さんのもとで編集の仕事をして、その後、高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』(1991年公開)からは、スタジオジブリで制作の仕事(映画づくりの進行管理)をしていました。

 途中、宮崎駿監督が『もののけ姫』をつくっていた時期だけ、僕は外で他の仕事に就いていたのですが、『ハウルの動く城』の頃まではジブリにいて、その後は日本テレビの映画事業部へ移り、今に至るまで映画プロデューサーをしてきています。

『千と千尋の神隠し』の時期で印象に残っているのは、やっぱり、「具体的な仕事の物量の多さ」でしょうか。その意味では大変でしたが、宮崎さんは、「映画制作の進行管理として、現場のお尻をたたく立場」から見れば、ちゃんと仕事を遂行してくださる監督ですからね。理不尽なことはない中、特別な作品の一つだと思いながら関わっていたので、充実していました。

写真 2004年日経優秀サービス賞の受賞式の模様
2004年日経優秀サービス賞の受賞式の模様

 今、個人的に振り返れば、『千と千尋』は宮崎作品としても、日本や世界のアニメーション映画としても、あるターニングポイントになった作品と思いますが、それが、「海外にも伝えるんだ」なんて意識がまるでない中でつくられていたのは、興味深いですね。徹底的にローカルなものこそがインターナショナルなものになりうる姿を、見せてもらったと言いますか。

 鈴木さんと仕事をさせてもらってすごいなと思ってきたのは、人の長所を引き出すのが本当にうまいところです。

 例えば、『紅の豚』のレーザーディスクをつくった時には、あるアシスタントの女性に、「どの絵をパッケージに使ったらいい?」と訊いていました。ナオちゃんというその人は、「飛行機が墜ちて樹に引っかかっている絵」を選んだのですが、何と鈴木さんは、その意見をそのまま採用してしまった。

 主人公のポルコでもなく、空や海を背景に飛んでゆく飛行機でもなく、墜落した飛行機が樹にかかった残骸の絵が、レーザーディスクのメインのビジュアル……。これには驚きました(笑)。

 鈴木さんが、人に何かを訊いたり仕事を依頼したりするのは、目の前の人に「いいところがある」と感じているからであって、「そこで出てきた意見の中には、どこかに大切なものが隠されている」と思っている。

 だから、パッケージとしては規格外のアイデアが出ても、「ナオちゃんにとっては、この絵こそが『紅の豚』を象徴しているのか。その視点にも、本質的なものが宿っているはずだ」と、目の前にいる人のことも、その人が出してきた仕事(この場合は意見)も、大事にするんですよね。鈴木さんは、そういうふうに仕事をしてきた人だと思います。

─ 鈴木さんに言われたのは、「人に仕事を頼んだら、そのいちばんいいところは直しちゃダメだ」

 鈴木さんは、人に仕事を頼むと、出てきたものを基本的にはすべて受け入れるんです。多少リファインするにしても、頼んだ人のいちばんの良さが出ているところは活かす。

 これは、「アニメージュ」時代から今に至るまで、僕がずっとマネしたいなぁと試みながら、鈴木さんほど徹底してできてはいないよなと思ってきたことです。

 鈴木さんの理屈は、シンプルなんです。「だってさ、その人にいいところがあるから、仕事を頼んだんでしょう? そこで出てきたものを根本からねじ曲げるなら、最初から人に頼まず、自分でやるべきだよ」という話。

 これは、言うのは簡単でも、実行するのには大変な困難が伴うやり方です。

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 まず、人から出てきたものをそのまま採用する場合、頼んだほうは、それで結果が出なかった時に責任を取らなきゃいけない。次に、多少リファインする場合には、出てきたもののいちばんの良さを活かすのって、はじめから自分でつくり直してしまうよりも、はるかに手間がかかる。

 これをやり続けてきたのが鈴木さんであり、これを徹底できないからこそ、ほとんどのプロデューサーや編集者は、人の作家性を開花させたり、人を育てたりすることができないんじゃないでしょうか。

 人から出てきたアイデアを受けとめることで開けていく仕事って、あるんですよ。

 例えば、鈴木さんが「アニメージュ」の編集長をしながら、『となりのトトロ』をつくっていた頃、僕は雑誌の表紙を担当していて、そこに載せる『トトロ』の絵を、宮崎さんへ依頼しに行きました。

 鈴木さんに言われたのは、「とにかく、宮さんに新しく絵を描かせること」。映画公開時には1枚でも多く絵があったほうが、人に伝えやすくなる。そのために、雑誌の表紙という建前で、既存のものではない絵をもらってきなさいということですね。

『トトロ』にメルヘン的なイメージがつくのは嫌だから描かない、と渋る宮崎さんは、「でも、ネコバスの(正面、横、上から見た)三面図なら描いてもいい」と言いました。僕は、それでお願いしますとそのまま受け入れた。

 すると、1週間後に上がってきたのは、有名な「サツキとメイがトトロの乗ったネコバスを待っている絵」だったんです。宮崎さんもさすがに三面図じゃ悪いと思ったんじゃないかなあ。結果的には最高の絵を描いてくれました(笑)。

 これも、今から考えると鈴木流の応用みたいなことですね。人から出てきたアイデアを受け入れ、全面的にまかせた後に、その人のほうで案が練られていく場合もある、ということなんですよね。

─ 鈴木さんをジブリ作品の登場人物にたとえると……「ジブリ作品の中に鈴木さんはいない、というところに意味がある」

画像 湯婆婆が取り仕切る湯屋
湯婆婆が取り仕切る湯屋
©2001 Studio Ghibli・NDDTM

 僕は鈴木さんのことを、「アニメージュ」時代には、「仲間を大切にして、みんなで楽しく仕事をする場をつくった人」と捉えています。そのために、お金を稼いだり、会社の上層部と戦ってくれたりして、鈴木さんは、ある種の理想的な場を維持していた。

 当時の「アニメージュ」は間違いなく、鈴木さんひとりがその中心に立つという場でした。僕もそこにいて、働いていて楽しくて仕方がなかった。

 そのうち、鈴木さんは雑誌づくりを通して、高畑さん、宮崎さんの本当にすごい才能に惚れ込む。そして、「彼らが好きだ」という気持ちの中に思いっきり飛び込んでつくったのが、スタジオジブリですよね。

 それ以降の鈴木さんは、基本的には高畑さん、宮崎さんという素晴らしい才能を立てて、自分自身は実務家として彼らを支えるほうに回ったというのが、僕の認識です。

 リアリストとして作家を支え、日本ならではの作家主義的なアニメーション映画を最も開花させる、編集者的なプロデューサーの役目を担った。そういうリアリストは、ある意味では理想主義的なキャラクターが多く描かれるジブリ作品の中には、それほど出てこないと思うんです。

 宮崎さんの言葉で言えば、子どもに「この世は生きるに値する」と伝えたいからこそ、ファンタジーを通して理想を描くのがアニメーション映画だ、というわけです。

 かつて、映画版の『風の谷のナウシカ』については、次のような指摘もあったと記憶しています。風の谷のような、ある種の理想的な場が維持されるためには、実務家の存在が不可欠だが、そういう人たちのことは作中で描かれていない、と。

 そうした実務家の存在は、ジブリ作品の中では「描かれなくて良かったこと」なのかもしれません。 つまり、ジブリを維持し、支えてきたのは実務家である鈴木さんだけれど、そうした真のリアリストの存在は、子どもに向けて理想を語るジブリ作品の中では、「描かれないこと」に、アニメーション映画としての意味があるというのが、僕の見立てなんです。

 まぁ、あえて挙げるとすれば、ある組織を取り仕切っているという点では、『千と千尋』の湯婆婆は、鈴木さん的なところがあるかなとは感じますが。