鈴木敏夫とジブリ展

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鈴木敏夫とは何者なのか?

特別取材(1):
鈴木さんは「豪放磊落(ごうほうらいらく)を装った小心者」?

東宝株式会社/常務取締役/映像本部映画調整担当 兼 同映画企画担当
市川 南さん

写真 「千尋」当時の市川さん
「千尋」当時の市川さん

 私は、東宝株式会社で宣伝プロデューサーの仕事をしていた2000年の夏頃から、翌年に公開を控えた『千と千尋の神隠し』の宣伝に携わりました。当時、私は30代でしたが、鈴木さんは50代の前半で、ものすごいエネルギッシュでしたね。

 人をギロッとにらんで、その人の今の立場をほとんど否定するぐらいの仮説を、思いっきりぶつける。会議の席上での、怒鳴り合いの論争なんかも平気。映画会社にいる私に対してで言えば、「もう、映画なんて誰も観ない時代になっているんじゃないですか?」と問うんです。

 確か、糸井重里さんがおっしゃっていたと思うのですが、「どんなに平和で仲の良い家庭にも、鈴木さんをひとり放り込むだけで、不吉なことを言うと、家族が疑心暗鬼になって大喧嘩になるんじゃないか」というぐらい(笑)、鈴木さんは、とにかく状況を混ぜっ返す人です。豪快な面は、間違いなくある。

 しかし、そんなギリギリの挑発をなぜしていたかと言えば、実は映画の宣伝にまつわる不安要素を一つずつ潰すため。ダメなところを細かいところまで潰しきって、もう最後は楽観的にバクチ(勝負)に臨むしかないというほどの境地に達するために、後ろ向きな悲観論をどんどん語るんですね。

 ある意味ではたいへん繊細な、小心者と言えるほどの用意周到さがあるのだなと、鈴木さんとお付き合いを重ねるうちにわかってきました。

 いろんな会社から来た担当者である、宣伝に関わるスタッフの中でも5~6人は、毎晩のように日付が変わるぐらいまで話し合うのですが、夜の12時近く、議論が尽きたあたりで、鈴木さんがこう言ったんです。

「あのさ、『新座頭市物語 折れた杖』の予告編が、『千と千尋』の予告編づくりの参考になりそうだから、観てみようよ!」

 そこから、予告編のみならず映画自体も、夜中の1時過ぎまでかけてすべて観て……。どのぐらい、『千と千尋』の参考になったのかはわかりませんが(笑)、それだけ、気になったことは細かく「穴を潰していく」わけです。

写真 2001.3.26製作報告会 江戸東京たてもの園にて
2001.3.26製作報告会
江戸東京たてもの園にて

 連日、そこまで何でも徹底的に話し合い続けた製作委員会のメンバーどうしの間には、どこか、「鈴木学校の同じゼミ生」とでもいうような強いつながりと、一緒に検討を重ねた宣伝のためのノウハウが、財産として残るんですよね。

 鈴木さんは、丁寧に穴を潰していったあの頃のやり方を、基本的には今も活かして映画を宣伝していると感じます。その前にも後にも、多くの映画に携わりましたが、あれだけ一体感のある製作委員会は、これまで見たことがありません。

─ 鈴木さんに言われたのは、「自分のために仕事をやるのが、いちばん会社のためになるんだよ」

画像 第一弾ポスター
第一弾ポスター
©2001 Studio Ghibli・NDDTM

『千と千尋の神隠し』の宣伝のために、鈴木さんと相談した内容を会社に持ち帰ると、社内のルールからは逸脱しているがゆえに、関係する各部署から「できない」と否定されることがいくつもありました。

 そういうことは映画づくりでよくあるものです。一般的には、私はやりたいのですが会社が、と説明すると、仕方ない、となる。もしくは、妥協案を探す。

 でも、鈴木さんはいつも、「ねぇ、キミがやりたいのはどっちなの?」「キミがやりたいことを、自分のためにやるのが、いちばん会社のためにもなるんだよ!」と、会社の問題ではなく、私自身の問題として語るんですよね。

 確かに、私は鈴木さんと相談したことのほうをやりたいのだから、そう言われると逃げられない。そして、ある意見と、対立する意見との間の「折衷案」などでなく、できるか、できないかだとハラを括って、いわゆる「搦め手」も含めた交渉に臨む。

 そんな中では、いつもできたわけでもないけれど、いくつかは、粘って実現できて良かったなと思えることをやれました。

 例えば、『千と千尋』の予告編がそうです。本来は30秒以内と決まっていた、映画公開7ヵ月前の劇場での45秒の「特報」や、ナレーションもなしで木村弓さんが歌う主題歌『いつも何度でも』がまるごと流れる、4分近くの「劇場用本予告」などは、今思うと「何で実現できたのだろう?」と思うぐらい、当時の映画にまつわる慣習やルールから、大きく逸れたものでした。

 内容もラディカルでした。あれだけ長い時間、先鋭的な予告編を流そうという鈴木さんの方針も、大ヒットにつながったと思っています。

 予告編で言えば、特に公開直前に見せる、さっき言った「劇場用本予告」や「TVスポット(CM)」などの内容を、カオナシ中心でつくろうと決めた鈴木さんの判断は、すごかったですね。

 宮崎駿さんが結末を決めずにつくり続けた映画の全貌が、ようやく明らかになった公開4ヵ月前に、鈴木さんから言われたんです。「今わかった。この映画は、千尋とカオナシの物語だ」と。

 普通なら、千尋とハクのラブストーリーとして宣伝するはず。しかし、鈴木さんは、「今はストーリーだけではなく、映画を哲学としても受けとめる時代なんだから、カオナシで売ろう!」と言った。その一手があったからこそ、『千と千尋』は、一般的な大ヒットをもさらに凌駕した「歴史的な大ヒット作品」になったのではないでしょうか。

─ 鈴木さんをジブリの登場人物にたとえると……「湯婆婆」

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©2001 Studio Ghibli・NDDTM

 『千と千尋の神隠し』の「湯屋」を仕切る組織のボスとしてのあり方でも、湯婆婆は、鈴木さんとダブって見えます。

 ただ、私にとって印象的なのは、作中でハクが言う「湯婆婆は、相手の名を奪って支配するんだ」というセリフ。鈴木さんとよく似ているんです。

 私で言えば、他のどこでもそうは呼ばれない「ピエール」というあだ名を鈴木さんにつけられ、ジブリの仕事で働く時には、その名前で活動していたわけです。宮崎駿さんとは、期間としては20年来のお知り合いではあるものの、その宮崎さんは、いまだに私を「ピエール」という名前以外では認識なさっていないフシがある(笑)。

 周囲へ「アメとムチ」を巧妙に与える点でも、鈴木さんは湯婆婆のようです。私もかつて、必要な資料の作成が遅くなり、鈴木さんから、めちゃくちゃ叱られたことがありました。

 ものすごく怒鳴られたわけですが、筋が通っているので、終わると、不思議と滝に打たれたように何かスガスガしい気分にさえなった(笑)。しかし、大事なのは「怒りっ放し」ではないところです。

 叱られてすぐ、その資料を徹夜で作成し、翌日、鈴木さんに届けて概要を説明したら、その内容をすごく褒めてくださったんですよね。あれは嬉しかった。

 褒められている瞬間は、ただただ喜んでいただけなんですが、しばらく経って気づきました。鈴木さんの周りの方たちが、時にはこっぴどく怒られながら、その後も一緒に仕事を続けているのは、この「アメとムチ」のバランスがあるからなのかもしれない、と。

 湯婆婆にしても、千と怒鳴りつける怖い存在でありながら、最後のほうでは千を手放しで褒めるという、人としての奥行きがうかがえる魅力もありますから。

 仮に、鈴木さんが湯婆婆だとしたら、ジブリという組織はさまざまな神様を癒やす「湯屋」。ここで、どこか神様みたいな存在に関係しているのも、ジブリのあり方の核心に触れている気がします。

 今、日本人のかなりの人が、ジブリ作品、とりわけ宮崎駿作品を、特に、若い世代なら、小さい頃から『トトロ』などを繰り返し観て育った人が、大多数にのぼるわけです。これはもう、はっきり言っちゃえば、「ジブリ愛」とでもいう国民的な感情みたいなものが、日本人の倫理観に大きな影響を与える段階に達しているのではないでしょうか(笑)。